名前バトン

レモンさんにいただきました。

□あなたのHNは何ですか

ヨヨコ。

□由来は何ですか

本名をいじりました。

□差し支えなければ本名もお願いします

差し支える恐れがあるのですいません。

□本名の由来は何ですか

姓名判断で、画数のよい名前の一覧の中からマシなものを選んだらしい。

□過去に使っていたHNを教えてください

246(ニョロ)

□過去につけられたあだ名を教えてください

ぶっちょ。部長だったんです。太っちょとかいうことではありません。実際はどうかはさておいて。

□今までこの名前かわいいと思った名前はありますか

これといったないやも。あえて言えばアランジアロンゾのキャラクター「うおくん」。潔い名づけ方が好きです。

□一番大切な恋人にはなんと呼ばれたいですか

呼びたいようにどうぞ。ただしHNは不可。

□HNと本名どちらが好きですか

HNが本名だったら違った人生を送っただろうと思います。

□また生まれ変わってもその本名でいたいですか?

それほど、こだわりはありません。

□回す5人

誰が見てるかわかりませんので、気が向いた方どうぞ。


HNを適当に付けがちなので、由来を尋ねられちょっと困りました。

昨日のつづき

ドライレモンさんが反応してくださったので、昨日の補足を少し。
髪の毛について。低年齢層向けだけでなく、少女マンガでの髪の毛は「線」として描かれてることが多い。どういうことかというと、ラインをいくつか描くことで、その空間が髪だということを示しているのである。毛(線に近いもの)の集まりである髪部分をいくつかの線によって省略して描いているわけである。これに対して、萌え系マンガがどうかというと、髪の毛が「立体」として描かれているように思うのだ。粘土から彫りだした髪の毛とでも言おうか。どこにそれが現れているかというと、毛先である。毛先が必ずと言っていいほど、きちんと閉じている。線と線が毛先で繋がっていて、その間が髪の毛を示しているのである。

ただし、最近では少女マンガでも毛先が閉じられ、立体のように描かれる髪の毛が多くなってきている。これが何を示しているのかはまだ、考察が必要だが、想像するに、マンガのメディアミックスと関わっているような気がする。線で描かれた髪の毛は、どこまで色をつけるのか、つまりどこまでが髪の毛かがあいまいである。そのため、アニメ化した際にイメージが崩れることが多かった。(少女マンガが線が多いものであることも関係あるだろうが)そしてアニメに伴った玩具の展開である。マンガという平面表現の段階で立体まで考えたものになっているように思うのである。

低年齢向けの少女マンガのキャラクターと、いわゆる「萌え」系と言われているマンガのキャラクターの造詣は非常に似ているように思う。目の配置や、大きさ、鼻の省略といった大まかな部分の類似があるからなのだろうけど、でもどこか違う。目の光の反射を表す楕円の大きさに違いがあるように思う(少女マンガ<萌えマンガ)。萌え系のマンガのキャラクターは光の反射を表す楕円が小さく、黒目が大きいため、表情があまりなく、意思の強さは感じさせないキャラクターになっているような気がするのだが、どうなのだろうか。

少女マンガに求めるもの

卒業論文で少女マンガを取り扱い、少女マンガ誌9誌を読んだのだが、その中での感想を少し。
美少女戦士セーラームーン』以降低年齢層向けの少女マンガ誌、とくに『なかよし』(講談社)は変身ヒロインが多く登場している。最近の傾向としては、4〜5名の戦隊形式より、2人組みが主流のようである。(『二人はプリキュア』など)何故、低年齢層向けでは「変身ヒロイン」が多いのだろう。これはアニメとのタイアップの関係だろう。現に、最近アニメ化したものは変身モノが多いように思う。変身ものは、子供に向けたグッズ(おもちゃ)展開がしやすいのが大きな理由だろう。また、きらびやかな「変身」は幼い少女達から一定の人気を得ることはできるだろう。ビジュアルのインパクトが重要な低年齢層向けの少女マンガにはうってつけのテーマなのだ。
つまり、低年齢層向けの少女マンガを読む少女達がそこに見るのは「ファンタジー」「夢の世界」である。

最近では、低年齢層向けの少女マンガは「大きなオトモダチ」=「男オタク」を読者として取り込んでいる。コゲどんぼなどのいわゆる萌え系の絵を描く作家に連載をさせるなど、出版社は意識的にそういった読者も楽しめる作品を載せようとしている。

対して、高年齢層向け雑誌(cokkie、別冊マーガレットなど)では、「友達の友達の話」が描かれているように思う。おもしろいのが、主人公は作品中の扱いなどから考えて「そこそこかわいい」なのだ。乙女ちっくマンガでは「ドジでダメな私」だった主人公が「そこそこかわいいけど、平凡な私」になっている。読者とさほど変わらない、どこかにいそうな設定の主人公が、恋や、友情に悩む様子を描いた作品がほとんどなのだ。ただ、マンガらしく、それぞれがそこそこハードだったり、ドラマティックだったりする。読者自身に起こることに近いけど、ほんの少し上にあるものを描いているのではないだろうか。それを読者は、感情移入しつつも、「大変だね」「うらやましい」といった感想を持ちながら、見るのだろう。友達に対する相槌に近い。

高年齢層では読者に起こりうる可能性のあるもの、もしくは読者の日常を喚起させるものを描いており、「憧れ」ではなく、「同調」を読者に与えているのだ。つまり「あるある〜」と「こんな風になったら自分はどうするかな」の2つで成り立っている。


読者が一体マンガに何を求めているかを、作品から判別するとこういうことではないだろうかと私は感じた。

またもや古泉智浩『転校生 オレのあそこがあいつのアレで』(小学館 ビックコミックスペシャル)購入し忘れる。早く読みたい。あと、小谷野敦もてない男恋愛論を超えて』(ちくま新書)がとても気になる。