緑川ユキ『夏目友人帳』第1巻(白泉社)

友人のオススメ。

読んでいてどうしても今市子百鬼夜行抄』を思い出す。設定が酷似してるのは否定できない。

  • 妖怪、幽霊の類を見ることのできる主人公
  • その主人公をなんらかの理由によって助けるある程度力のある妖怪
  • 主人公よりも能力を持った祖父・祖母

では、異なっているところはどこか?『夏目友人帳』の主人公夏目には理解者がいないのだ。そしてこれが、作中で重要な要素となっているようである。『百鬼夜行抄』の律には幼い頃祖父はまだ存命であり彼に妖の世界との関わり方のようなものを教えている。また彼には家族がいて、その家族も祖父のこともあり「律はそういうものが見える子」として認識している。これに大して夏目には、誰も回りにいない。高い能力を持った祖母は既に夏目の母(祖母の娘)が幼いころに死んでおり、夏目自身が幼い頃に父母共に死んでいる。その結果夏目は親戚の家をたらいまわしにされ、周りには見えないものを見ているようで気持ち悪い、もしくは嘘をついていると思われるようになる。幼い夏目に唯一現れた理解者は人間に化けた妖であった。こういった理解者の有無の結果律と夏目は妖怪に対する態度が若干異なっているように感じる。律があくまで人間側から妖がらみの問題を処理しようとする。対して夏目は妖の方にシンパシーを感じているような気がする。この作品の中の妖が人間を食べるという設定の妖であっても実際に人間を殺すシーンが描かれないため妖=恐ろしいという印象を読者はほとんど持たないだろう。なので、夏目が人間同士の関係には無関心だが(友人はいるがどうも表面的に見える)、妖といるときはイキイキとして見えても、夏目をかわいそうとは思わない。むしろ、能力を隠さないでいられる妖といる方が夏目の孤独感は薄れるんじゃないかと思う。タイトルの友人帳の「友人」が夏目の祖母と勝負をして負け、祖母の子分となった妖たちである時点でこの作品中の妖が、少なくとも夏目とその祖母にとっては負の存在ではないことは明らかだろう。

夏目友人帳』では、夏目だけでなく妖たちの寂しさを描く。夏目の祖母に負け子分となったものの、祖母が他界してしまい呼ばれることの無くなった妖はこう言うのだ。

ああ今日も呼ばないのかい?

さみしい

さみしい

前よりずっと

かえせ

かえせ

どんなに待っても呼んでくれないくらいなら

幼い頃に夏目の孤独を一時癒してくれたのが人に化けた妖であり、それが他の人には見えなかったことで、人ではなかったということに気付き、深く傷ついた過去を持つ夏目がこの妖に共感しないはずはないだろう。

ただ、いくら共感をしても人間である夏目と妖では人間同士のような関係にはならない。ただ、妖の寂しさを理解し見つめるだけだ。それは妖の側からしても同じだろう。このような、人間じみた感情を持った妖と、どうしようもない孤独を抱えた人間との関係を使って作者の緑川ユキは誰かの寂しさはどうしようもないもので、何にも埋められないけれどもそれを理解しそっと見守ることくらいはできるかもしれないよ、それは自分の寂しさも同じで抱えていかなければならないけれど誰か見守ってくれるかもしれないよ?と、誰もが持つでろうどうしようもない寂しさを抱えた私達に小さな灯を見せてくれているのかもしれない。裏を返せば灯りによって温もりを感じると同時に照らしだされた寂しさはその影を一層黒いものになるんだろうけど。