『長い長いさんぽ』須藤真澄

18日に少し感想を書いたが、「泣いた」で済ますのはどうかと思うのでもう少し詳しく何故泣いたかも含め感想を書こうかと。ネット上ですでに様々な感想がでており、読んだが結構否定的なものも多かった。ある意味須藤氏の「異常なまでのゆずへの依存」が賛否を招いているようだ。確かに、引いてしまうような事も描かれていた。だが、私は完全にシンクロしてこれを読んでしまった。ゆずをペットの猫ではなく(登場)人物としてとらえてしまい、さらに個人的な思い出がかぶさってしまったのだ。ゆずと亡くなった祖母がリンクしてしまっていた。そのため物語りとして客観的な位置からこの作品を見れなくなってしまった。何度も読んだのも自分の傷を確認し作品を通とおして癒そうとしていたのかもしれない。私はペットを飼ったことがないので、ペットロスがどういった感情を生むのかわからない。ただ、その分この物語を大事な人の喪失の物語と捕らえてしまっている。ペットとの関係性については様々な意見があるのは当然だろうが、この作品は別にそこが問題ではないと思う。私達がどう読むか、読者がどうこうより、須藤氏がゆずの死を描くことが須藤氏自身にとって一番重要なことだったのではないだろうか。