よつばとおとなたち


ユリイカ1月号』「マンガ批評の最前線」を読む。この中に『よつばと!』作者あずまきよひこインタビューがあった。その中で意識的によつばの視点を描かないようにしているという話がされている。

これで納得がいった。このマンガは私たち読者がみんなでよつばを眺めて楽しむマンガなんだ。インタビュー中で伊藤剛氏が

お話としては、よつばかた見た、ふだん我々がみすごしてりうようなつまらないものが輝いて見えるという世界が描かれているはずなんですが、読者はそれをやや引いたしてんから眺めるしかないわけです。そういうクールな距離感がある。そのせいか、このマンガって、一方で明るく楽しい日々がヴィヴィッドに伝えられる反面、切なさを感じさせたりもする。

と言っているが、この切なさを感じるという部分が何故なのかが私の中ですごく不思議だった。このマンガを読んでいるとよつばちゃんはかわいくて、おもしろくて、読んでいる間すごく楽しいはずなのに、ふっと寂しくなる。これは読者である私達が、幼い子供ではないからだったのだ。(これにもインタビュー中に伊藤氏は触れている)

同じく子供の世界を描いたマンガに小田扉の『団地ともお』があるが、これはこんな風に、楽しいのに寂しいような気持ちにはならない。それはともおがネット上での批評にも書かれているが、大人達が子供ごっこをして遊んでいるからだと思う。『ともお』で描かれるのは大人社会を反映したものばかりだ。最新刊の6巻においてもインターネット上での掲示板での匿名でのやり取りの特徴をともおの姉君子の交換日記によって描いている。

よつばはともおのように虫を大量に殺してしまったりもしない。(ともおも大量の虫の死骸を見て後悔するが)私達にキラキラとした何に対しても感動する無邪気さだけを見せてくれる。私達の”美しい”子供時代への憧れの結晶がよつばなのだろう。よつばの父ちゃん小岩井に
「あいつはなんでも楽しめるからな、よつばは無敵だ」
というセリフがある。これは読者すべてのそして作品内でともによつばを見つめているキャラクター達全ての憧れではないかと思う。実際に自分の子供時代がどうだったかを考えると、よつばのようになんでも楽しめていたかは謎だ。だからこそよつばは無敵なのだ。私達読者の「無敵の憧れ」になるのだ。『よつばと!』はただ子供のかわいさ無邪気さを見るというよりも、自分の憧れの結晶を光に透かして見るようなマンガなんだと思う。だからこそよつばは他のキャラクターに比べてマンガっぽさがより強調されているのだろう。その反面『よつばと!』世界はディティールに凝った描かれかたをしておりそれによってリアリティのバランスをとっている。細かい描き込みと一話で一日という形式によってよつばの世界に私達は入り込み決して触れることのできない憧れの世界であるこの街を現実の私達が住む街に重ね何気ない日常のきらめきを探すのだ。